通過済GMと未通過GMの優位性

通過済GMと未通過GMの優位性

先日、Twitterで「通過済GM」と「未通過GM」の話題を見かけました。この手の学級系議論って、結局は「メンバーによる」というオチに落ち着くことが多いのですが、今回はもう少し深掘りしてみたいと思います。

私としては、この話題に「作者に回してもらえるなんて贅沢」という視点も追加したいと考えています。

果たして通過GMと未通過GMの違いは何なのか?
通過GMの強みは? シナリオ作者に回してもらう優位性は何か?

その辺りを分解して考えてみましょう。

目次

作者=解像度が高いとは限らない

まず、私がよく発信している考えから始めましょう。

「シナリオ作者」に回してもらうことは、実はそれほど良い体験とは限らないよ

これは、見ず知らずの作者に回してもらうことで得られる「シナリオ解像度の高さ」よりも、仲の良い友達とのセッションの方が圧倒的に楽しいという考えです。

そもそも、以下の3つの要因って全部別々の観点として捉えるべきだと思うんです:

  • シナリオ解像度の高さ
  • 作者であること
  • GMが上手いこと

シナリオというのは、いわば「レシピ本」ですよね。そのレシピ通りに作れば決まったお話が作れる…それがTRPGにおけるシナリオの役目です。

でも実際には、レシピ通りのセッションになることって珍しいじゃないですか。TRPGではその場その場で雰囲気やキャラクターが変わります。食材や調味料をアレンジしなければならない局面が必ず出てきます。

作者の優位性に関する分析

確かに、シナリオの作者が持つ優位性として考えられるのは:

  • 制作過程で得られた物語の設定・背景・描写に関する深い理解
  • NPCたちの解像度の高さ、RPの上手さ
  • アレンジが必要な際に本来の味を活かしながら最適な調整を加えてくれる可能性

…なんですが、ここで疑問が湧くんです。

「それが得意なのって、作者じゃなくて、単純にGMが上手い人じゃね?」

「そもそも作者が解像度高いって根拠はどこから?」

シナリオを読んだ人と書いた人の間で解像度に差があるという根拠って、実はどこにあるんでしょうか?

作者が案外テキトーにシナリオ書いてるかもしれませんよ。逆に、作者が読者の想像を超えた深い物語を作ってくれるかもしれませんよ。

まあ、セッションの体験とは別で「推し作者に回してもらう特別感」とかはあるかもしれませんが…。実は作者よりも物語を理解してくれる読者の人というのは居ます。その方がシナリオの体験としてはリッチなものになるでしょう。

「秘伝のタレ問題」という根深い課題

ここで触れておきたいのが、私が「秘伝のタレ問題」と呼んでいる現象です。

シナリオ作者がシナリオ内に書ききれない様々な要素が、実際にはセッションの体験を大きく盛り上げているという現象です。あとは作者のふせったーなどから得られる情報もこれの親戚でしょう。しかし、これらの要素はシナリオを呼んだだけでは得られません。

その面白かった要素を再現しようと通過済みGMは考えられますが、未通過GMはその要素に気がつけないんですよ。

問題の本質は、シナリオを楽しくできる要素をシナリオ内に記載できていないことです。つまり、これはぶっちゃけ作者側の課題です。

作者のTwitterなどを追跡し、ツイートから要素を拾わなければシナリオの要素を網羅できないというのは、あまりにもいびつな状況と言わざるを得ません。

もちろん、作者側もシナリオ執筆時には気が付かなかった要素を後から発見したり、物理本の制約などでテキストを削った結果として重要な要素が失われたりする事情は理解できます。

でも、それで未通過GMが完璧な状態で回せないというのはあまりにも可哀想なので、作者側が対策してほしいんです。

作者への提案

一つはふせったーの「広場」機能を使って、自分のシナリオに関する発言をまとめておき、アーカイブとして残して閲覧しやすい状態にすること。本当は本文の編集がベストですが、やむを得ない措置として。広場の作品は自分で作れ、私も自作シナリオ全部広場登録したんだからさ!

可能なら、シナリオ執筆時点で面白いセッションにするための要素は羅列してほしいです。要は、シナリオ書いたらちゃんとその要素で自分が回すのと同じクオリティが担保できるようにしてほしい。そうなるまでクオリティアップを図ってほしいですし見直しを繰り返して欲しい。

シナリオ執筆時には気が付かなかった要素を後から発見したり、物理本の制約などでテキストを削った結果として重要な要素が失われたりする事情は理解できます。

通過は修行である

さて、本題に戻りまして。通過済GMと未通過GMとの違いは何か?

これははっきりと言えます。GMをする上での準備の楽さと理解の速さです。

なにせ一度体験した内容を再現するだけでセッションができるんですから!

日本には「百聞は一見に如かず」という諺がありますが、一度自分の目でPL視点というものを見て体験してしまえば、理解の速度は段違いですよね。

シナリオを回すためには「シナリオを理解する必要」があるわけですが、このために必要な短期集中講座、これがシナリオ通過というファクターなんです。

この修行を経ているというステータスこそが通過済みGMの称号です。作者GMも同じような名刺ですね。そう、どちらも「修行済である」という名刺を提供するための動きなんです。

求められるGMの3要素

ここで大事なことを忘れてませんか?

その修行を受けた”人”って本当に良い人ですか?

良いというのは人柄という意味ではなく、あなたとのセッションの相性は?遊び方の方向性は?日程は?TRPGのうまさは?

要は相性です。

そういった遊ぶ上での良い要素を本当に持っていますか?それが噛み合わないなら、いくら通過済みだろうが、いくら作者だろうが、「相性の良くない人」となってしまいます。

上質なTRPG体験に必要なGMのポイントは以下の要素だと考えています。

  1. GMの上手さ、RPの上手さ(技術)
  2. シナリオの理解度の高さ、読み込み具合(解像度)
  3. プレイヤーとの仲の良さ、コミュニュケーションの円滑さ(コミュニュケーション力)

この中で「作者」ならではの優位性は2しかありません。ちなみに「通過済GM」の優位性も同じく2です。2だけです! 他の2つは個人の話! 作者でも通過済みでも下手な人もいる。めちゃくちゃ楽しくコミュニュケーション取ってくれる人もいる。

結局、ただの相性問題

世の中にはあなたと仲が良くて相性の良い人が、未通過でも文章読むだけで世界を表現できる人が、その逆の人が、ごまんといるわけです。

あなたと遊び方が噛み合う人が、目指す方向性が同じ人が、RP重視の人が、戦闘重視の人が、その逆の人がごまんといるわけです。

じゃあ愛情がいい人と遊びましょうね。

そこに「通過済みだから」「未通過だから」って言ってる時点で本質を見失ってますよ、ということです。まあ、こういう話が議題にあがる時点で本質からズレているとも言えるんですが…。

本当の問題は何だったのか

「シナリオの良さを活かせないテキトーなGMで、結果として後味の悪いセッションになった。せっかくのシナリオが台無しだ!」

…っていうその体験、未通過GMだからじゃないんですよ。「あなたと相性の悪いGMだったから」なんです。回すのが上手くなかったのも、セッションの方向性が違ったのも、全部そのGMとあなたの相性が悪いから起きたんですよ。

本当に望まれていたのは:

  • 「質の高い体験がしたかった」
  • 「もっと上手いGMの元で回りたかった」
  • 「シナリオ愛がある人に回してほしかった」

これは未通過でも通過済みでも作者でも関係ありません。とはいえ、通過済みの方がある程度の質は確保されている印象はあるでしょうけどね。要は学歴フィルターみたいなものです。

相性はいいけど技術が追い付いていないパターンもなくはない

もちろん世の中には、物凄い熱量と愛情があって、一緒に楽しんでほしい気持ちはいっぱいあるけれど、読解力不足からシナリオを実際に回すとミスだらけや拙い遊び方で没入感が出来なかった…という案件もあるでしょう。

相性はいいけど技術が追い付いていないタイプですね。

まあ基本的には稀だと思います。世間で学級会のネタになってるのは相性問題ですから。

そして、このケースでも今度はPL側の問題です。相手は善意で回してくれているのに「うーん質が悪いねえ」とケチを付けるお客様気どり。

嫌ならお前が回せ、人の未通過GMに難癖付けるなら自分が回す側に回れ。

それが建設的な解決策です。シナリオ読解は実際に楽しい作業でもあります。

俺は 作者よりも! 通過者よりも! 回すの上手えぞ

ちなみに私はシナリオの方向性にもよりますが、一度読んで自分の中に取り込んだ後で大胆にアレンジを加えるタイプです。

作者よりもシナリオ回すの上手いぞと豪語するシナリオも何本かあるので、もし回す機会があればよろしくお願いします。

あ、ちなみに私は自分の書いたシナリオ全部未通過です!! おかしい!! こんなに神シばかりなのに!! 遊べないなんて!!!!


PS:ありとあらゆるTRPG系の学級会「相性問題」で全論破できる説ある

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この記事を書いた人

ふれの

わかばTRPG部のサークル主。シノビガミを中心にしたTRPGシナリオを執筆。ドラマチックで王道なヒロイックシナリオが得意。 「映画の主人公のような体験」を楽しめるストーリーと、作り込みと書き込みを充実させたシナリオ制作を心がけています。